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サスペンスホラー映画の主人公になった気分

ひとりで町田駅周辺を歩くと、サスペンスホラー映画の主人公になった気がする。立っているだけで汗が流れ出す暑さのなか、僕以外のほぼすべての人がマスク姿でメインストリートやペデストリアンデッキを行き来しているからだ。表情がわからないので何かに操られて動いているような気味悪さがある。

昨年の夏は10代、20代と思われる人たちのなかに一定数、ノーマスクの人がいたが、2021年の夏は幼い子どもまでマスク姿。その群衆のなかをひとり、ノーマスクで歩くのは、けっこうスリルがある。そのうちに見知らぬ誰かに細い路地へ引っ張りこまれ「いいか、よく聞け。この社会で生きていくためには大衆に迎合しなきゃだめなんだ!」と、強い口調で忠告を受けるのではないかとドキドキしている。

僕は、街なかを歩いている大多数のひとがマスクをしている理由は、交通機関や商業施設、飲食店を利用するために付けたり外したりするのが面倒だからだろう、と想像していた。しかし、どうやら違っていたようだ。今、マスク姿の人々から感じる薄気味悪さがどこからくるのかと考えを巡らせたとき、しっくり来たのは同志社大学心理学部の中谷内 一也教授の研究グループが発表(2020年8月)した 『マスク着用は感染防止よりも同調のため!?』という論文だ。

人々のマスク着用は、他の着用者を見てそれに同調しようとする傾向と強く結びついており、一方、本来の目的であるはずの、自分や他者への感染防止の思いとは、ごく弱い関連しかない。この春先、人々がマスクを求め国中が大騒ぎとなったが、マスクを着けることで他者への感染を防ごうという意図はほとんどなく、自分の感染予防でさえ微弱な理由でしかない。主な理由は、他の人がマスクを着けているので自分もそうしたい、という思いだった。

同志社大学心理学部のプレスリリース

一般人1,000名を対象に調査を行い、その考察の結果を同研究チームは上記のようにまとめている。空気を読んで周囲に合わせることが大好きな、実に日本人らしい理由ではないか。

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