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帰郷

祖母が逝去したとの知らせをうけ、8年ぶりに帰郷した。
享年103歳。自宅で眠るように亡くなった、穏やかな顔をしていると聞いていた。
家族葬だとも聞いていたので、足元がどこか頼りなく感じながらも
気楽に構えていたが、実家で対面するといいようのない寂しさがこみあげてきた。
そして、心臓を患ってから6年もの間、勝ち気な性格の祖母を支えてきた
父と母、弟夫妻の苦労を思い、何もしてこなかった自分を恥じた。

出棺の際は近所の人たちが、老いも若きも集まって手を合わせてくれた。
子どもの頃、怪我をすれば心配し、悪さをすれば遠慮なく
叱り飛ばしてくれた母の友達のご婦人方が揃って顔を出してくれて、
あんたが一番オヤジ似だとか言ってかしましく騒いでくれたのが嬉しかった。

家族をおくるのは、これがはじめてだった。
家族葬といっても、遺族だけで一切を済ませておくるのは難しいので
葬儀場を借りて通夜式と告別式をおこなう。
通夜では、亡くなった人にさみしい思いをさせないよう
遺族の誰かが一晩中、そばに付き添う。
恥ずかしながら、そういうことも僕は知らなかった。

斎場では、父と弟夫婦のとなりで参列者のみなさんを迎えた。
お互いに齢を重ねているうえにコロナのせいでマスクをしているものだから
ほとんどクイズ大会のようだった。
それでも幼い頃に可愛がってもらった母方の親戚の方々の顔は
どうにか見分けられた。
マスクを取って挨拶すると、やっぱりあんたが一番オヤジ似だとかで。

罰当たりかも知れないが、
お坊さんにお渡しするお金の額を聞いて驚いた。
「坊主丸儲け」という言葉があるが、時給いくらなんだと…。
ただ、なんと呼ばれているものかは分からないが、
「南無阿弥陀仏」のお経に続いて読み上げられたもの――
祖母の一生を辿った物語のような内容のお経はすばらしかった。
何を参考にして、どんな方法で、誰が創作したのか教えてほしいと思った。

火葬場へ向かうバスのなかで、
自分のときは何もせずに焼いて、骨を海にまいてほしいと母は言った。
先に逝った母の姉も、そうやっておくりだしたのだ。
僕はまったく同じことを書いてあるエンディングノートの置き場所を
弟に伝えた。

父と母が、ほとんど利益が上がらない工場を
「祖母がいるうちは」という気持ちで
続けてきたことは容易に想像できた。
工場の様子をみる限り、継続の可能性はないだろう。
仕事がなくなっても、父と母は大丈夫な気がする。
しばらく休んで、好きなことをしてもらいたい。

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